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    ――「それでは、わしの方からお礼を云はなきあならんのです。どうぞ、よろしく願ひますわ」

    「おい、ビールは冷やしてあるかい」

    「うん、行くよ。――だが、夕方でいゝだらう」

    「何でも大分前からこゝの御隠居にかけ合つていたさうぢやありませんか」

    徳次は房一から聞かれるまゝに子供の数を答へたり、それから又思ひついて水神淵へ出る近路のことを念入りに教へたりした。無我夢中に近い気持だつた。だが、その間にも彼はあの眩しげな目つきで、時々房一を眺めた。するうち彼には、自分にとつてはたゞ漠然と雲をつかむやうにしか思へない「年月」が房一の中にはつきり現れているのを感じた。それは医師高間房一だつた。この何かしら驚くべき変化の中には、徳次すら一役買つているやうに思はれた。

    「私もこれで元は法律書生でしてね。司法官か弁護士試験でも受けるつもりで、神田の私立大学に通つていたもんです」

    「挨拶みたやうなことはもうしたかの」

    「梨地から水神淵へ降りる路ができたからね、そこへ出れば、帰りはずつと楽だ」

    「さやうさ。当今では大分世智辛せちがらくなりましてな。薬価の代りに畑の物を貰つてすませる位のことはさう珍しくはありませんよ」

    私はもともとヌル湯好きで、いつまでつかっても汗のでない程度が好きだ。

    房一は面喰つて、ぽかんと口を開けた。

    だが、このはてしのない遠慮深さは気持の悪いものではなかつた。

    「――?」

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